諏訪といえば諏訪大社。諏訪大社四社のうち,今回は下諏訪にある上社前宮(かみしゃまえみや)について紹介します。諏訪大社は全国各地にある諏訪神社の総本社で国内にある神社の中でも最も古い神社の1つとも言われています。古来より雨風・水の神,五穀豊穣の神,武勇の神として,朝廷や様々な武将から信仰されていました。
諏訪大社は実は4つあり,上社と下社で2つずつ存在します。今回の記事では上社の1つ前宮を紹介します。まわる順番はあるのか,上社下社の違いはあるのか,なぜ4社あるのかなど分かりやすく解説します。
そして,週刊少年ジャンプ連載中,アニメも放映中の「逃げ上手の若君」の聖地としても知られるようになった諏訪大社。中でもこの上社前宮は,諏訪頼重の本領として北条時行を連れてきた場所で間違いなさそうです。「逃げ上手の若君」との関係性も踏まえて見どころを紹介します。
諏訪大社とは
諏訪大社の歴史
諏訪大社の歴史は非常に古く,少なくとも1500年から2000年前に遡るとされています。『古事記』に記されている国譲り神話に登場する建御名方神(たけみなかたのかみ)が,出雲から諏訪に移り住み,信濃国を築いたと伝えられています。全国各地に諏訪の名のつく神社が1万以上ありますが,諏訪大社がその総本社です。
諏訪大社の神様は諏訪大神,お諏訪様と呼ばれ,雨風・水の守り神・龍神信仰として古くから祀られています。
朝廷からの信仰も厚く,持統天皇に勅使をつかわされて、国家の安泰と五穀豊穣を祈願されていることが『日本書紀』に記録されています。
また,諏訪大神は武勇の神、勝負の神として崇められ,平安初期には桓武天皇の勅命を受けた征夷大将軍 坂上田村麻呂が戦勝の祈願をしています。鎌倉時代には源頼朝が源氏再興の守護神として土地を寄付したり,武田信玄はお諏訪さまを武家の守り神と崇め,社殿を作り土地を寄付したりしています。徳川家康は天正10年(1582年)に乱により消失した上社本宮の神門を、慶長13年(1608年)に家臣に直させ、国家の安泰を祈願させた歴史があります。
諏訪大社前宮の御祭神
八坂刀売神(やさかとめのかみ)
四社まいり
諏訪大社は四社あり,それぞれの神社に格の優劣はありません。ですので,自分の周りやすい順番で回って大丈夫です。
名称 | 御祭神 | 住所 |
---|---|---|
上社前宮 (かみしゃまえみや) | 八坂刀売神 | 長野県茅野市宮川2030 |
上社本宮 (かみしゃほんみや) | 建御名方神 | 長野県諏訪市中洲宮山1 |
下社春宮 (しもしゃはるみや) | 建御名方神 八坂刀売神 八重事代主神 | 長野県諏訪郡下諏訪町193 |
下社秋宮 (しもしゃあきみや) | 建御名方神 八坂刀売神 八重事代主神 | 長野県諏訪郡下諏訪町5828 |
元々は上諏訪神社,下諏訪神社と呼ばれていましたが,明治に国の管理となり一つの神社となりました。その名残が諏訪大社の『上社』と『下社』と分かれている由来です。
上社前宮
駐車場
前宮は駐車場が3ヶ所あります。1つ目が境内の入り口。2つ目が社務所前。3つ目が本殿前です。
ここが一番目につきやすい駐車場です。国道152号線沿いにある駐車場です。
どちらの方面から来た場合でも,鳥居を通り過ぎて1本目の交差点を諏訪大社側に曲がると社務所前の駐車場です。
本殿の前にも駐車場があります。ここまで向かう道路は参拝客が歩く参道も兼ねていますので,運転にはお気をつけください。
境内
鳥居を抜けて境内に入るとより神聖な雰囲気になっていきます。
諏訪の神の姿は龍だという話にあやかってか,四社の手水には全て龍の姿があります。
この十間廊は奥行きが十間あることから名付けられました。古くは神原廊(ごうばらろう)と呼ばれ,最大の神事である御頭祭(酉の祭り)が行われる場所でもありました。御頭祭では鹿の頭七十五頭をはじめ,獣魚類等独特のお供えされるのですが,これらの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿が入っていることから,諏訪の七不思議の1つとして数えられています。御頭祭は現在でも行われていますが,鹿の頭は剥製を使用しています。
十間廊を通り過ぎると本殿までの道が続いています。車が通ることもあるので気をつけて歩いてください。
本殿の前にまず目につくのがこの小川。これは水眼(すいが)の清流と呼ばれ,神域を流れる御手洗川となり,ご神水として大切にされてきました。源流は上流を1km遡った先にある守屋山の山中です。
高台にあるため茅野市の景色が見晴らせます。
本殿です。諏訪大神が最初に居を構えられた地と言われ,諏訪信仰発祥の地とされています。現在の御殿は昭和七年に伊勢の神宮の古材を以って建てられたものです。
御柱(おんばしら)
御柱とは社殿を囲む4本のモミの木の柱のことです。諏訪大社で有名な日本三大奇才の1つ御柱祭(式年造営御柱大祭)が7年に1度開催され,その度に柱を建て替えています。諏訪大社は4社あるので全部で16本の御柱が存在しており,全ての御柱を御柱祭のときに,氏子たちが人力で引っ張ってきています。
御柱を4本建てる理由は諸説あり,神殿の名残説,聖域・結界の形成説などがあります。柱を建てることはいつから始まったのか,正確な記録がなく分かりませんが,少なくとも平安時代1200年前から行われているようです。
現在各社に建っている御柱は令和4年,2022年開催の御柱祭に建て替えられたものです。
休憩所
本殿への参道の途中にあるカフェ「茶所 山里」16時頃までの営業です。
これまた参道の途中に広場と交流センターがあります。
交流センターの中にはカフェもありますのでドリンクを飲みながらゆっくり休憩したり,前宮や御柱祭に関する展示を見ながら過ごしたりすることができます。
授与所
授与所ではお守りやお札,絵馬などが販売されています。御朱印は500円で受け付けており,諏訪大社の御朱印帳は1000円で販売されています。諏訪大社四社参りの際には御朱印帳を各所でいただくのが記念になりますね。四社の御朱印を集めると,記念品が頂けるそうです。
社務所入り口には記事冒頭でも触れた「逃げ上手の若君」のポスターが貼ってありました。この作品と諏訪大社の関係も紹介したいと思います。
「逃げ上手の若君」の聖地
「我が庭,我が本領,諏訪大社にございますれば」という諏訪頼重のセリフで登場した諏訪大社。この2枚の写真を比べていただけるとお分かりになると思いますが,鳥居や十間廊,階段などの配置が一致していますね。作品内で,鎌倉幕府滅亡の際に諏訪頼重が北条時行を匿った場所は上社の前宮になるのでしょう。
というのも諏訪頼重は実在の人物であり,諏訪大社の中でも頂点の職である大祝(おおほうり)という立場でした。大祝の邸宅は代々前宮の境内にあったので,頼重もここに住み,暮らしていたのでしょう。
大祝は諏訪大社の御祭神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」の子孫で現代に生きる神,現人神(あらひとがみ)と言われる諏訪氏のこと。「私,本物の神様でございますから」という頼重の言葉は本当だったということですね。
諏訪頼重の供養塔
諏訪頼重は実在の歴史上の人物で,もちろん既に亡くなっています。前宮にはその頼重の供養塔があります。
本殿までの参道を右に曲がると頼重の供養塔があります。
諏訪頼重はアニメ「逃げ上手の若君」でもほぼ毎回登場,軽妙な言動と北条時行の確かな師として人気の高いキャラクターです。前宮に来た際は是非ご供養してみてはいかがでしょうか。供養塔の説明が書いてある立札には作品のお楽しみの方にはネタバレ?的な要素がありますので,それでも構わない方は下の見出しをクリックして内容を確認してみてください。
諏訪頼重の供養塔説明(作品のネタバレ?あり)
基本情報
名称 | 諏訪大社前宮 |
---|---|
住所 | 長野県茅野市宮川2030 |
電話番号 | 0266721606 |
アクセス | JR茅野駅から徒歩約40分 諏訪ICから車で約10分 |
駐車場 | 有り |
参拝時間 | 参拝 24時間 授与所 9時〜16時30分 |
HP | https://suwataisha.or.jp/about/miyamori/kamishamaemiya/ |
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